農聖 石川理紀之助翁。
この名前は、秋田県人なら「種苗交換会を創設した人」ということでご存知の方も多いはず。
潟上市商工会では、潟上の地に生きて、種苗交換会の創設はもとより、
貧農救済をはじめ、現在の農業経済の礎を築いたといって過言でない、
石川理紀之助翁をテーマにしたご当地検定「石川理紀之助翁伝習士認定試験」を実施しています。
その、石川理紀之助翁の顕彰碑が秋田市八橋「日吉八幡神社」にあります。
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顕彰碑は八幡神社の境内に入り、三重塔に隣接していますので、
見つけるのはそんなに難しくないと思いもいます。
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石川理紀之助翁の功績を簡単に紹介。
石川理紀之助翁は秋田県種苗交換会の先覚者三大人の一人であり、
秋田の二宮翁と称され、その生涯を農村の更正、農家の救済、
農業の振興のために捧げ尽くした高名は全国に知られている。
西暦1845年(弘化二年)秋田市金足小泉の農家に生まれ、
廃藩の後秋田県勧業課の官吏に出任、三十三際の時種苗交換会を創設し、
今日の全県的一台行事の礎を築いた。
西暦1915年(大正四年)七十一年の生涯を終えた。
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碑の前に立つとその大きさに圧倒されそうなくらい大きな碑です。
高さ7メートル、幅1.8メートルといいますから、その大きさを実感します。
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難しい字がたくさん並べられており、キムカズには少々読解困難でしたが、
「東郷平八郎」「前田正名」の字が読み取れました。
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では、せっかくなので、この全文を記してみることにしましょう。
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石川翁碑
元帥海軍大将従二位大勲位一級伯爵東郷平八郎題額
大正四年八月石川理紀之助翁衰村救済歴任中羽後國平鹿郡の救済事務所に於て労
働病を発して十四日尚庵に帰臥し九月九日逝去す従七位に特叙せらる病牀に在る
事僅に二十六日のみ十日南秋田郡山田村郊外の丘陵に葬る翁は同郡の舊族奈良氏
に出て二十一歳石川氏を襲く夙に頴悟祖訓を受け十一年既に和歌を善くす耒耨の
旁刻苦力学歌道の正始に溯る又古の田法に精し明治元年王事に軍務に従ひ後専ら
勧業に褒順す地價制定に効あり五年縣の勧業部に出仕し腐米改良法の発案実施農
事試験場の創設等其功具陳し難し十一年種苗交換会を開く十三年暦観農話連を組
織す二十二年其恢復成る更に山居十載経済生活を始む二十五年全県適産調に着手
し努力積精調書五千卷に達す二十七年大日本農事大会に出席し総裁宮の令旨を捧
して九州を暦説す帰りて農会組織を企て二十八年縣郡町村農会なる三十一年荒民
を救済す三十二年農会法施行せらるゝや縣農会長を辞す三十五年正名か一歩園模
範疎水事業を援助し薩摩日農村振興の為めに同志数人を率ゐて之に就く四十一年
再び縣農政に鞅掌し東北振興の権威たり著述八百七十余冊和歌二十五年餘首男爵
高崎正風氏と共に國風に力を注ぐと云う享年七十一歳二子民之助老之助皆先立ち
て下世し孫孫太郎嗣ぐ
大正七年九月八日建立
前田正名撰並書
亀朋刻
石川翁の足跡を丁寧に書き綴られているようでした。
宮崎県の貧農救済に請われて赴いた石川翁。
その依頼をしたのが、前田正名という人物です。
前田正名と石川翁は親友として互いを認め合う仲で、
前田が石川翁の死をどれだけ悲しんでこの碑を書いたかと思うと、
翁の遺した数知れない功績に思いを馳せるキムカズだったのでした。
潟上市商工会では、今年も10月下旬の実施を目標に「石川理紀之助翁検定」を実施します。
現在、詳細を検討中ですので、詳しくはこちらのホームページでお伝えしていきます。
もう少々お待ちください。
潟上市商工会サイト