7月5日(木)
今日は、石川翁顕彰会主催「視察研修会」が開催され、
顕彰会会員である商工会を代表してキムカズが参加させていただきました。
今日視察先、それは湯沢市にある”石川理紀之助翁の師 農聖 高橋正作翁”の邸宅。
その邸宅は、湯沢市雄勝地区にありました。
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高橋正作は、江戸時代の終わりごろの出羽国雄勝郡(現在の秋田県湯沢市)南部の村長だった人。
私財を捨てて天保の大飢饉から農民を救い、
院内銀山を日本一の銀産出量を記録させるまでに復活させた偉人です。
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大飢饉、私財捨て、村を救った高橋正作翁
高橋正作翁が村長を務めていた当時、それは天保4年(1833年)。
この年、秋田で40万人のうち、19万人が餓死したと伝えられる「天保の大飢饉」が襲いました。
村長だった高橋正作翁は、全ての私財を投げ売って食料を買い求め、
村人500人余を飢えから救う決断をします。
私財を担保にお金を借り入れ、いち早く食料を求めるためにいく晩も眠らず、
血まなこになって各地を奔走して食料を調達し、村から一人の餓死者を出さなかったのです。
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館内の説明をしていただいた管理人の泉さん。
実はこの方も素晴らしいお方。。。
一時は取り壊しの構想のあったここ高橋正作邸。
泉さんは、この建物を永代に遺さなければという使命を感じ、
個人でこの邸宅を買い入れ、現在維持管理を行っておられます。
高橋正作翁の功績を知っているからこそ、この建物の文化財的価値を知っているからこそ。
なんと素晴らしい視点、行動でしょう。
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炭不足、院内銀山が倒産寸前
そのような時代だけに、院内銀山には食料を求めて全国各地から人々が集まり、
大量の銀鉱石が掘り出されました。しかし、その銀鉱石から銀を取り出すため必要な石炭が不足し、
銀山は倒産の危機に瀕していました。
なぜ、石炭が不足したのか?
それは、飢饉のため炭焼きをする人々の体が弱り、働けなかったことが原因していました。
秋田の重要なお金の出どころである院内銀山の衰退は、すなわち秋田の衰退を意味し、
ひいては江戸幕府へも大きな影響を及ぼすほどの一大事でした。
そこで高橋正作翁は、まだ元気な自分の村人や周辺の村々に炭焼きを薦め、院内銀山へ炭を送り出したのです。
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村人の炭が銀山を救う~日本一の銀産出量~
高橋正作翁は、炭の請負契約を成立させるため、銀山や役所を何度も往復しました。
時には初冬で、荒野の暴風雨の中歩き、わらじが切れて、足から血が吹き出したこともあったようです。
それでも正作翁はひたすら走り、やがて炭の販売が行われるようになると、
徐々に銀山は復活し、結果的に日本一の銀を産出するまでになります。
そして、秋田をはじめ江戸幕府もうるおい、長引く飢饉の中でも人々は炭を売って生き延びることができた。
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石川理紀之助翁が慕う。師事する。
文久3年(1863年)、歌人を目指して江戸に向けて家出をした石川翁。当時19歳。
湯沢の地に入り、川連で和歌を師事した後藤逸女から高橋正作翁を紹介され出会うこととなる。
石川翁は高橋正作翁に出会い、その人間の大きさに感激し、自分の生き方を決定付けることになる。
それは、「自分は、弱い立場の人々を命がけで救った正作翁のような農業指導者になりたい。
弱い人々を救う生涯こそが、歌人よりも尊い。」と、将来の生き方を決意した。
以来、石川翁は高橋正作翁から教えを受け、父のように慕ったという。
その後の石川翁の足跡を思い返すと、困った人々を命がけで救った高橋正作翁と重なって見えるのはキムカズだけではないはず。
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横手盆地の開墾、有機農法、種苗交換会を育てる
高橋正作翁は77歳のとき、石川翁に頼まれて、秋田県の農業指導者のリーダーとして、
横手盆地を開墾させ、日本有数の米どころに変えました。
多くの著書や種苗交換会では、稲作や畑作、開墾、養蚕、飢饉対策などについて具体的に説明し、
我が国の農業近代化に貢献しました。
秋田県最大の農業のイベント「秋田県種苗交換会」の講話会には、初回から14回まで指導者として参加し、
石川理紀之助翁を支えながら、その土台づくりに尽くしました。
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92歳で逝き、理紀之助泣く
明治27年(1894年)、92歳で泣くなった高橋正作翁。
泣きくずれる石川理紀之助翁。石川翁は、県内92ヶ所で高橋翁の供養を行いました。
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そんな強い絆で結ばれた高橋正作翁と石川理紀之助翁。
これほどまでに強い信頼関係のあった二人、
実は年齢差が42歳もあるということ。
高橋正作翁は1803年生まれ、石川理紀之助翁が1845年生まれ。
親子以上の歳の差のある二人。
石川翁は高橋正作翁に師事し、その後の石川翁の活躍を見た高橋翁は石川翁を高く評価し、協力する。
・・・そんな、高橋正作翁の功績と石川翁との強いつながりをご説明いただいたのは、
高橋正作翁の研究家の簗瀬 均 先生(三関小学校教諭)から大変興味深くお話をお聞きすることができました。
(簗瀬先生は現役の学校の先生。給食の時間をぬけ出して、私たちのためにご指導をくださいました。)
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高橋正作翁の邸宅を視察後は「道の駅おがち」で昼食会。
市女笠(いちめ がさ)をモチーフにしたデザインの建物が特徴的です。
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キムカズ、ここ湯沢市の雄勝地区や稲川地区の自然環境が大好きです。
なぜか、どことなく地元大館に似ているような気がするのです。
近くに迫る山々、清く流れる川・・・
来るたびに落ち着く感じを味わうことのできる、この地。大好きです。
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追伸:簗瀬先生のご講話、さすが先生だけあってお話の組み立てから語り口調まで、
それはそれは大変興味深い内容でした。
なお、秋田大学生が簗瀬先生の講話を動画にしたものをユーチューブで公開されていましたので、
先生の了解を得てURをお知らせします。↓
聖老農高橋正作のお話/簗瀬均さん~ 「古民家に集う会座談会」にてhttp://www.youtube.com/watch?v=ry6gSLpyEcc
潟上市商工会サイト